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原石の未来(清水大輔) / '06 8,6

原石の未来 / 清水大輔 (加養浩幸指揮・航空自衛隊西部航空音楽隊)
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CAFUAセレクション 2005
吹奏楽コンクール自由曲選「エブリデイ・ヒーロー」(CACG-0065)


2004年に、昭和ウインドオーケストラ委嘱の作品として、吹奏楽を中心に近年数多くの作品を発表され活動されている、若手作曲家、清水大輔さんによって作曲された作品です。
作品タイトルにある「原石」は、未来に向かう若者を例えているそうで、その輝かしさを象徴しています。特に作品中に登場する美しいアフリカンコラールには耳を惹かれました。自身大好きな一曲です。

最初にこの曲に出逢ったのは今から1年前の夏、地元に通う知り合いの高校が、夏のコンクールの自由曲に選曲し、その演奏を聴いたのが切っ掛けでした。彼は打楽器を担当していましたが、中々格闘していると話していた様子が思い出されます。
難易度はグレード5とやや高く、金管木管、打楽器とどれをとってもある程度の技術が必要になる作品で、終盤に登場するコラールの再起は、様々な副旋律が入り乱れ、金管にもかなりのパワーが必要となりますが、実力のあるバンドには是非お勧めの作品です。個人的にも一度は是非とも演奏したい作品です。
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言葉考 / '06 11,15

「最近の日本語は乱れている」
こんな事が言われているのはここ数年に始まった話では決してありませんが、この根本に存在する事、それは、「考えて言葉を扱う」と言う事だと僕は考えます。

日本語が乱れる、それは数年前までブラウン管を通じてしばしばお茶の間に登場し、勤勉な主婦やサラリーマンの度肝を抜いていた、ガングロメイクにだぼだぼのルーズソックス、全身高価なブランド品を身にまとって白昼渋谷を闊歩する今や絶滅危惧種のヤマンバギャルが「チョベリバァーマジウザいんだけどー(書いていて恥ずかしい)」等と言うレベルの話ではなく、その多くは実はもっと身近で日常的なシチュエーションに間接的に形を変えて内在しています。

例えば一つに、近くに女の子が居り、明らかに耳に届くと分かる様な範囲で、まるで拡声器でも使っているかのような声の張り上げようで、あまりに聞くに堪えないセクシャルで品性下劣なトークを集団で喚き散らし、無遠慮に展開し続ける輩等は、多くの人が一度は経験した事があるであろう不愉快極まりないその典型的な例でしょう。
これは別に集団的な場面に限った話ではなく、ある程度の関係距離を持った個人間においても同様に言える事です。自身の体験例を挙げましょう。

朝、知り合いに挨拶を交わし、返ってきた一言目、「あ、居たの?」
本人にどう言う含意があるかは分かりませんが、少なくともこれをぶっきらぼうに言われて心地良い気分になる人はそう居ないでしょう。
「最近肌荒れ酷いね、さっきより酷くなって無い?」
体力的精神的疲労が重なり、心身共にくたくたの生活を送っているので、確かに事実ではありますが、これも前記に然りでしょう。相手が気にしていると言う事を考慮して貰いたいものです。と言うか「さっきより」って何なんでしょうか。
「お前がそこ受けるの?志望校下げろよ」
もうこの辺にしましょうか。


この時いずれも彼等は、自分の発したその言葉が、それを耳にする対者にどのような印象で受け取られ、どのような影響を与えるかと言う事を全く考慮していないように考えられます。自分が放った言葉が、その後周囲にどのような影響を及ぼすかと言う事を思考し、整理する段階を殆ど踏まず、躊躇無く思いつくまま言葉を発して居るのです。思考段階の欠如と言うのは、言葉の表現性の欠如を生み、デリカシーの欠如を生み、そして対社会性の欠如へといずれ結びつく事になると僕は考えます。
彼等ないし彼女等は、状況や人物に合わせて「言って良い事、悪い事」の区別が付いていないのです。その場その場、その人その人に合わせて言葉を選び、丁寧に対応すると言う能力に関して、著しい欠如を感じます。俗に言う「空気が読めない」と言う事もこの一つでしょう。

言葉を誰かと交わす時、そこには言葉を発する主体者と、それを受け取る客体者が存在します。主体者は自分の思考を言葉と言う手段で表現し、客体者に伝えます。言葉はそれぞれに意味を持っており、主体者は主体者が持つ印象を言葉に乗せ、客体者へと発します。
ですがこの時、主体者が客体者に与える「言葉の印象」そのものには、主体者の意思は直接介在していません。「言葉の印象」が伝達される時そこに存在するのは、主体者がどういう意図を持って発したかと言う主観的な意思ではなく、客体者がそれを受け取る際、その言葉をどのように捉えて考えられるかなのです。
言葉と言うのは、主体者の意思を反映し表現する媒体と成り得ますが、その時自分と相手との間には、思考の差異と言う溝が必ず生じます。これは自分と異なる思考を持つ存在である他者とコミュニケーションを行う以上、絶対不可避の現象です。そして「言葉の印象」と言うのは、この時変化するのです。だから私達は、自分の言葉が相手にどのような印象や意味を持って受け取られるかと言う事を、可能な限り常に考慮しながら発言しなければならないのです。

考えて言葉を伝える、それは思考の差異と言う溝を出来るだけ浅いものにし、自分の意思を的確に表現しようとする努力であり、言葉を受け取る相手に対する思いやりに他なりません。今乱れているのは、言葉を扱う、日本人の心では無いでしょうか。

移設

一年半以上に渡る間、他所にて続けておりましたウェブログの執筆ですが、この度FC2さんに移設致しました。
昔の記事の整理をしながら、新しい事を色々書こうと思うので宜しくお願いします。
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